拝啓、お元気ですか


 みなさんお手紙、書いてますか?

 デジタル時代の昨今、今どき手書きで定期的にお手紙を書いているなんて本当に限られた人種だと思うのですが、そのひとつは間違いなくばんぎゃるでしょう。TwitterのDMでも! LINEでも! ファンメールでもなく! SO, ファンレター!


 プレゼントよりも手紙が嬉しいよ、というのがあちら側からの模範解答のようになっているような気がします。実際そうなんだろうなとか、どこまで本音なのかとか、本当に読んでるのか、いやいっそ読まずに捨ててほしいとか、まぁ色々思うことはありますが、書いて渡したという地点でこちらのやることは終わっていますしあれこれ考えたところで仕方がない話です。
 それでもお手紙を書くという行為が、私は好きです。
 究極の自己満足だな、とも思います。
 酷い時などは月に何本、週に何本もあるライブの度に毎回お手紙を書いていました。何をそんなに書くことがあるのか。まぁここまで来るとあまりに極端ですが、でも実は私それまでは基本的に「ファンレターなんて書かない」タイプのばんぎゃるでした。そんな私がどうしてこんなに手紙を書くばんぎゃるにジョブチェンジしたのか! 一体どんな教育と営業を受けたというのか! ……みたいな話はしません(しません)。

 ただ、自分が初めて「このひとに手紙を書きたい」「思っていることを伝えてみたい」と感じたときのことは、明瞭に覚えています。そのひとはその頃、きっとこのシーンに対しても自分に対してもメンバーに対してもファンに対しても、とにかく周りのすべてに憎悪を燃やしていて、その熱でもってステージに立ち続けていました。尤も私にそう見えていただけで、実際には違ったのかも知れません。後年のインタビューなどを読むとやっぱりそうだったのかな、とは思いましたが後付けでしかないですしね。
 どうして私がお手紙を書こうと思ったかと言うと、伝えたかったからです。何を伝えたかったか。あなたのことを好きな人間がちゃんといるよ、ということを伝えたかった。世界の全てを燃やし尽くしてしまいかねないような人に、それでもそうやってあなたが作り出すものが、私はとてもとても大好きだと伝えたかった。どう繕ったところで自己満足だし身勝手な行為でしかないのですが、それでもただ見ているだけでは、どうしてもどうしても自分の中で収まりがつかなかった。そんな風に思ったのは初めてのことで、それは何故か泣きたくなるほどに強い気持ちでした。
 そうやって初めて書いた手紙に対して、そのひとから何か特別な反応があったとか、そんな話は残念ながら一切ありません。それから何年にもわたってそのひとに宛ててお手紙を書き続けましたが、私の内容はいつも「ありがとう」と「だいすきです」だけでしたし、そのひとは頂いたものを写真に撮ってブログにあげるといったことをほとんどしないひとでした。これもどこかのインタビューで「『新幹線の中で書いているので、字がガタガタになって申し訳ないです』って手紙に書いてくれるひとがいるんだけど、そんなことはない。嬉しいです」みたいな話をしていたことは覚えています。その頃の私はしょっちゅう移動中にお手紙を書いていたしそんなことを書いたこともあったので、おっと思ったことがあるぐらい。本当に、そのぐらい。

 一度お手紙を書く癖がつくと、そのひと以外にも結構気軽に手紙を書くようになります。書けるようになる、とでも言うのでしょうか。そこで驚いたのは、意外とわかりやすく反応してくれたり、お礼を言ってくれたり、この前書いた内容をインストアで直接振ってくれたり、ちゃんと読んでるよということを向こうから伝え返してくれたりもするんだ、ということでした。反応がなくて当然だと思っていたのでとんだボーナスステージ!状態です。
 そのひとはただ黙って受け止めてくれていた。私はそれが心地良くて、そして完全にそのことに甘えていました。バンドが解散発表をしたとき、一度だけ怒りに任せた手紙を書いた覚えがあります。今思えばあれは悲しかったんだということがわかりますが、だからってそんなことを伝えるべきではなかったし、それすらもそのひとはきっと、黙って受け止めてくれていました。いつからか私は、必ず「ありがとう」を書くことにしていました。楽しかったです、ありがとう。またこんなものを読んでくださって、ありがとう。好きで居させてくれて、ありがとう。
 そんな言葉じゃとても返しきれてないなあと、ずっと思いながら。

 

 


 最近になってわかったのは、いわゆる『推し』という概念に近い相手には、不思議と何かを伝えたいとは思わないということです。とにかく推しにはこちら側を認識して欲しくないというか、私のことなど路傍の石ぐらいに思っていてほしいというか、何だ、そう、これが推すという概念!!! というお気持ちへの気付き。そう考えるとわたくし、かれこれ10年ほど推してる相手がおりますが、本当にこちら側については関知してほしくないしする気配もないところが最高。そういう感情もある。ということを説明するのに、やっぱり名前がついてるって便利ですね。

 

 


 因みにお手紙を書くときに、私が絶対にこれは守ろうと思っていたことは、きちんとした言葉を使うこと。それから、「ほしい」ではなく「あげる」文章を書こうということ。その二点です。別にただのマイルールみたいなものなので、だからどうってことはない話です。

 どこかのカフェで懲りずにまたぞろお手紙を一生懸命書いていると、異国のハンサムから「ラブレターを書いているの?」と訊ねられたことがあります。そうだね~と答えると、にっこり笑いながら「君のようなひとに手紙をもらえる相手はとても幸せだね」と返されました。ヒュ~! これだからハンサムってやつはよ~!