グランギニョルに寄せて


 美しい者たちが作り上げる悲劇喜劇を眺めたいという気持ちは私にもある。観終えたあと、確かに強くそう思いました。中でも悲劇Tragedy、残酷劇Grand Guignolの持つ魅力には抗いがたいものがある。
 物語に頭を殴られてお気持ちがぐちゃぐちゃになる感覚は堪らない。大阪初日、椅子に深く腰掛けたまま周りのひとたちが次々と立ち上がっていく光景をぼんやりと眺めていました。人間、強い衝撃を受けると立ち上がることすらままならなくなるものなのだと久しぶりに思い知った心地で。






※これはピースピット2017年本公演『グランギニョル』に関する感想です。
※末満健一氏によるTRUMPシリーズに関するネタバレがバンバン出てくるので未見の方はお気をつけください。バンバン書いていきます。





 


 前知識として見ておこうとTRUMPをまず見たのですが、あの物語に登場するダリ・デリコ卿と染谷さんのヴィジュアルイメージがまず全然結びつかなかったのですよね。冒頭のダンスの美しさ。そこから始まる、まるで踊りのような優美な殺陣。この世界に生きるのはこうした生き物であると、まず真正面からグーで殴られるみたいな演出だなぁと思う。そこからややあって、ああダリ・デリコ卿はダリ・デリコ卿であってダリ・デリコ卿以外の何者でもなかった! と思い知る訳です。デリコパーンチ。あ、これめっちゃダリ・デリコだ。

 三浦さんのゲルハルト様は本当にこの世のものじゃないみたいな美しさでした。近くで見ればみるほど、まったくどんな身体の使いかたをされているのですかと思うような立ち居振る舞いが、ますます彼を浮世離れさせていました。全体的に動きが曲線的で、練習中はコルセットを締めてらしたという重心の取り方が特徴的。そして私が一番ひぇとなったのは、あの歩き方です。よくモデルは一本の線上を歩くようにと言われますが、ゲルハルト様の歩き方は正面から見るともはや一本の線を通り越して足がX状にクロスすらしているのがわかります。足元まで隠れるようなコートの下、外側へ半円を描くように歩を進めることで一々裾がふわりと翻る。更にダリと向きあう際にはいつも片足を引き、殊更に腰を反らせてお立ちになられるのですが、そうして後ろに引いた足でやはり衣装の裾が常に広がっているようなシルエットが作られるんですね。ゲルハルト様の衣装は時折ドレスのようにも見えたのですが、これはもう全てりょうすけみうらの見せ方の所為なのだと気づいた時の末恐ろしさ。
 その立ち方にはもうひとつ、ゲルハルトとダリの関係性も含まれているのかなとも思いました。ゲルハルト様のお気持ちという方が近いのかな。彼は自分より立場の低い者であれば物理的にも精神的にも容赦なく見下しますが、ダリとだけは「対等でありたい」と望んでいます。馬鹿にされることは許しがたいが、自分が彼を見下すこともしたくはない。だからこそ、身体に無理を強いるような体勢を取ってなお、ダリと比肩したい。対等な目線であろうとしていたのかなと。そんな風に私には見えました。実際、カーテンコールで真っ直ぐに並んで立つ染谷さんと三浦さんの身長差にびっくりします。劇中は本当にそんな風には見えないから。
(余談ですが、このゲルハルト様の歩き方や立ち方を自分で再現してみると本気で数分と保ちません。貴族としての優雅さにも筋肉は必要……!!)

 あなたは空っぽだと突きつけられ、最愛の者を失い、自分の罪をも最も知られたくない相手の前で暴露され、そうして地面に這いつくばるゲルハルト様は、それでもやはりとても美しいと思いました。ゲルハルトはダリに向かって「貴卿は生まれながらにしての貴族なのだ」と仰いますが(そしてこれはまた、ウルがソフィに言った台詞とも同義なんですよね)、ゲルハルトは自身がそれに相応しくあらんとすることで貴族たりえたお人なのでしょう。それが本来の、心底自分の意志で望むことであったかどうかはさておいて。そんな彼の空洞を満たしたのは、やはりここでも「ダリと対等であろうとする自分」だった。力なく項垂れたゲルハルトがダリに発破をかけられ再び立ち上がるまでの演技は、さほど長いものではありません。少しでも目を離せば「ゲルハルト様、立ち直りもお早いですね!」となりがちなあのスピード感で、三浦さんはしっかりとダリの言葉を飲み込み再び己を奮い立たせるまでを表現してらっしゃいました。大千秋楽で私が一番心を動かされたシーンです。
 だからゲルハルトがフリーダを殺めてまでダリを守ったのは、もしかすると半分は自分の為だったのかも知れない。吸血種の未来のために彼を失う訳にはいかなかったと、卿はきっとお認めにはならないでしょうけれど。

 まあフリーダ様には生きていてほしかったですけれど! という感情を観客が抱くところまで含めて最高の殺し方でした。


 すごく取りとめなく、色々なことを考えました。たとえば繭期の三人について。キキは誰のことをも愛してしまうけれど、それが自分の繭期の症状だということを誰よりも自覚している。「永遠に繭期なら、ふたりのこともずっと愛していられるのに」という台詞の物哀しさには、繭期じゃなくなればこの愛おしく思う気持ちもきっと消えてしまうのだという予感があった。けれど最後の最後で、キキはその口で「愛してるわ。繭期じゃなくても、愛してる」と告げるんですよ。その後の彼女を継ぐキャラクターが誰からも愛されないというのもまたその対比なのでしょうけれど。
 春林さんと歌麿さんは「彼方から来訪し、また彼方へと去る異邦の者」ですが、それを客席の通路を通って現れ同じく去ることで表現されているのが個人的にはすごく好きでした。偶々初日の席がそのおふたりの通る通路側の席だったため、余計にその印象は強烈でした。あと、ひとに言われるまで黒猫の告げる「事件の途中で死亡したヴァンパイアハンター」の万里という名前が、臥万里と同じということに気づきませんでした。何故ならば! 『ガヴァンリ』というワンネームの音で認識していたからです! 『ばんり』で区切られるとわからなかったよ!
 マルコ・ヴァニタスと呼ばれていた人物について。しょっちゅう何かに蹴躓きながら舞台に乱入してくるその様子は、何となくTRUMPのクラウスを彷彿とさせるな、とふと思いました。ゲルハルトのしたことについて激昂していたのは、彼のなかに残っていたウルだったのでしょうか。きっとダミアン・ストーンの計画では、ウルなんて人格はとっくに消えてるはずだった。彼が「予定外」としたのは「捜査本部がダリコ家に置かれたこと」でしたが、これにより必然的にスーと顔を合わせることになり、その結果としてギリギリまでウルは溶けて消えることなくスーのことを守り通したのかな。私はウルが完全に消えたのはきっと、スーが死んでしまったその時だったと思います。
 と、ここまで書いてようやく「ああ! これはやっぱり愛の話だ!」と思っています。喜劇的な、幸福な結末だけが愛の形ではないのだから。


 だとするならやはり幼子のウルに呪いをかけたのはダミアン・ストーンそのひとだ。君もまたグランギニョルの登場人物。身体はマルコ・ヴァニタスでありウルだけれど、血が繋がっているだとかそんな感傷はきっとダミアンにはないでしょう。だから「その子はお前の子だぞ」というダリの台詞に微塵も反応しない。そんな呪いに抗うようにダリは最後にウルを噛む。相反するイニシアチブについてのバルラハの解説が嫌でも頭の中をよぎります。でもこれもよくよく考えるとヨハネス卿に対するイニシアチブがダミアン・ストーンの死によって解けたということは、ウルに対する呪いとも言えるイニシアチブもなくなっているんですよね。なくなってるのかな……死後も続くほうのイニシアチブだったらどうしよう……。まで考えて、ああだからダリは敢えて消えているかも知れないイニシアチブを上書きしようとしたのかなとも思いました。
 それにしたって同じ言葉を繰り返すという手法がめちゃくちゃ好きなので、あのシーンの染谷さんの演技はすごく好きです。力強く、希う、優しい声色。



 大千秋楽の日替わりシーン---アドリブの場面は、総括と言うかこれまで見てくださった観客へのファンサービスの意味合いがとても強いのだなぁと見ていて感じました。ともすれば冗長というかテンポ感が悪くもなるので良し悪しなのかなぁとは思いますが、ダリがマルコを動く椅子扱いにして登場し叱責されるシーンで、フリーダ様まで悪ノリして仲良くマルコの上に乗られたのには流石にグッと来てしまいました。まるでif世界のトゥルーエンドみたいだったんですもの。あとゲルッ、ハルトー!というデリコパンチに対する初めての反撃は控えめに言ってめちゃくちゃ可愛いかったです……理性は負けた…必殺技の名前かよかわいい…………
 それからどの舞台を見ても思うのが、アンサンブルの方々の多芸さ。様々な種類のダンスを踊り、殺陣をこなし、細かな演技で色を添える。大袈裟でなく彼らがいないと舞台は成り立たないです。お名前がわからないので名指しで褒めることが出来ないのが本当に歯がゆいのですが、特に黒薔薇館の歌のシーンでのバレエダンサーさながらの踊りは本当に素晴らしかったです。これも円盤出たらじっくり見よう。



 と、ここまで触れていませんが実はダミアン・ストーン(コピー)の方の殺陣がいっちばん好きです。身が軽~い! 最高! って気分になりますし、回を重ねれば重ねるほど好きになりました。あれはバルラハに差しだすためだけの適当なダミアンコピーだったのかなとも思うのですが、それにしちゃあ魅力的です。
 バルラハはファルスと呼びながらも、彼なりにアンリのことを愛していたのかなあとかも考えます。彼の半生もまた語り始めたらちょっとした本になるぐらいじゃないのかと想像を膨らませるのも面白い。
 それからジャックちゃん! 私ジャックちゃんのことすんごい好きです。歌うような台詞回し、無闇にくるくる動き回る動作、頭のまわる邪悪なキャラクターは最高ですね。結果的にジャックがゲルハルトの窮地を救うことになるシーンで、「下々の者に頭を下げることはしない」という台詞はゲルハルト様なりの心ばかりのお礼の言葉なのですが、即座にその意を理解して「あぁん素敵ィ!」と痺れちゃえるジャックちゃんはめちゃくちゃに良いですよ。「あハッ、いヒッ、うフッ、えヘッ、おホッ」なぁんて戯けながらはけるシーンがいっとう好きです。傘の差し方がめっちゃかわいい。



 この後ダリは、フリーダ様がそう望まれたようにきっとラファエロの前では厳格な父であろうとしたのだと思います。ラファエロはウルと血が繋がっていないことを知っていたのか? いいえ、きっと知らなかったのではないでしょうか。ダリは決して口外しなかった。ウルはダリコ家のヴァンプとして育てる。家族や近しい者にはダンピールであることは勿論伝えておかなければならないでしょうが、それだってきっと自分の子だと伝えたはずです。
 でもフリーダ様にすらきちんと言葉にして愛していると伝えることをしなかった(できなかった)ダリですから、子供たちにも彼の愛というのは余り伝わっていないのかなと思います。グランギニョルを経てTRUMPでの親子のシーンを思うと何だかとても切ないですね。結局は切ないどころの話じゃないんですが。
 D2版でダリ・デリコを演じられた前山さんがグランギニョル観劇後に「これを見た後にダリを演りたかった」と仰られていたのが全然ピンとこなかったんですが、これも観た後になら少しわかる気がすると思いました。



 思ったとか感じたとか、結局全部(※個人の感想です)なのですが、だからこそ私は人の感想を読むのがめちゃくちゃ好きです。皆もっと、私が思うところみたいな話をもっともっとしよう! 私はまだ語り足りないです! 照明の話もしたい! 回旋するトラジェディが頭の中でずうっと回旋してる話とか! ダンスの倒れていく順番はやっぱりそうだったんですね!