ただ美しい残響を残そう

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 推し♡ファンサして

 ……といううちわがどうしても作れねぇ、と嘆きながら仕上げた最新作です。私は基本的に「自分のうちわが最高」だと思って振っています。そして推しのファンサは最高。

 

 

 あんさんぶるスターズ!オン・ステージ ~To the Shining Future~ 通称、あんステSTFのお話をします。

 今回まず新鮮だったのは『初日』の公演を見られた、という点でした。全23公演中、初日含む大阪5公演、残りは東京でぶっ続けて大千秋楽まで、というスケジューリングだったため関西在住のわたくしはドドドド初日と最終週末の公演を見るという、公演期間の両端をつまみ食いするような感じになった訳です。

 演技、変わりすぎでは!?

 日によって変わる演技の差異、みたいな話ではなくて大幅に演技プラン自体が変更されている箇所がかなり多くて驚きました。勿論良くなっていた点が多かったので、結果的には「進化した」という話で括れる範疇だとは思うのですが、それにしても吃驚した……。
 そう言えばJoKでも前楽と大楽にだけ荒牧さんが凛月の台詞をひとつ追加するという変更がありましたね。テニス部のシーンに追加されたなずなの台詞も同じような経緯だったりするのかしら。なにかの布石だといいな!なにかの布石だといいですね!!

 

 

 

「あなたは悪ではない。正義であるのに暴虐をふるい、他者の涙を、夢を、全て喰らい尽くしてしまう」

 ---という日々樹渉の台詞があります。この場面の安井くんの演技がめっちゃくちゃ良くなってて私一回そこでも死ぬほど泣いたのですけれど、とかくメインストーリーの英智さまはそれに尽きます。彼は悪役(ヒール)にはなりきれない。DDDの対決シーンでは、決勝を除いた全試合においてfineは常に上手側に配置されています。白いスポットライトを浴び「勝者!」という声を浴びてなお、英智さまが見せるのは温度のない表情。完璧でした。

 

 2.5に限らず原作があるものには全て言えることなのですが、我々観客の中には既に各キャラクターに対する思い入れがあり、ストーリーの上では語られない過去のエピソード、そしてそれぞれの解釈が発生しています。それは上手く作用すればブーストになり何倍にも作品の盛り上がりを助けるものです。
 同時に今回私が強く感じたのは、境界の曖昧さでした。役と役者を重ねて見ることの是非は私にはわかりません。しかし今作で私が最も感情を揺さぶられたのは、それが天祥院英智のものなのか、前山剛久という役者のものなのか、その判別がつかない境界線の上にあるような笑顔でした。

 それまでのつらいお芝居は終わり、ストーリーは大団円を迎える。夢ノ咲学院のステージだ、どれだけの夢を乗せても大丈夫!と謳うスバルの掛け声で、全員でのアンコールの幕が開きます。なおも俯いている桃李ちゃまに声をかけ、謝り、元気づけ、前髪を整えてあげる英智さまの表情はこれまで見たことがないほど優しい。はっぴーなシーンの筈なんですけど、ふぃ〜ねの客だけは色んな意味でずっと泣いていたんじゃないでしょうか。そうやって全体の展開とは別に、自分の視点で切り抜いた自分だけのストーリーを繋いでいけるから、生の観劇体験はサイコー(予想はしていたけれどライビュでそこがまったく抜かれていなかったことに傷ついた顔をしています)。

 それぞれのユニットが代わる代わるに『ONLY YOUR STARS』を歌うさまは、ああ原作にあった光景もきっとこんな感じなんだろうなあという思いが込み上げてきて、キラキラしたステージを見ながらようやく涙が引っこみました。そして、満を持してステージ中央に出てくるfine。英智さまはフロアを、観客を、眼前の光景を微笑みながら一望し、「ありがとうございました」と口を動かして、深々とお辞儀をします。
 刹那、私は混乱しました。それが英智さまなのか前山さんなのかわからなくなった。その表情が、仕草が、あんまりにも『心の底からあふれ出た』ものに見えて、お芝居だということが頭から完全に吹っ飛んでしまった。ただ目の前にいるひとが心からの気持ちを伝えたことだけはきっと間違いがないと、手にしていたものを全部放り出して、もはやマスカラを溶かすことしかできなかった。自分でも引くほど泣きました。

 大千秋楽あとの前山さんのブログを読むと、ご自身も「これが僕なのか英智なのかわからない」といったことを書かれていて、何となく納得しました。役に入り込む、というのとはちょっと違う。キャラと役者を混同している、というのとも何だか違う。ただこの妙な感覚は、このジャンルの良さのひとつなんじゃないかと少しだけ思いました。まだやっぱり、よくわからないままなんですけど。

 

 

 

 

 

 

 しかし結局根がアレなのでやっぱり客降りのファンサより曲中に頂くファンサのほうが「ファッ」ってなりますよね~! 大丈夫です、根がアレなので都合よく解釈するのは得意です! あれは私に対するファンサだと思ってるから~~~!! (シアター1010のセンターブロック9列10列目ぐらい、高田馬場AREAの二柵って感じでばんぎゃる的にまじサイコーでした)

 

 カメラには抜かれなかったであろう「ここがサイコーだよ前山院英智!」の演技の細かいお話はそれこそ3エントリ分ぐらいあるのですが、まあ楽しいのは多分私だけなので下書きに残して供養します。みなさまもそれぞれのあんステを噛みしめ、これからも元気にうちわとペンライトを振っていきましょう!ライブでも絶対に優勝してやるぜ!!

 

 

 

 

追記

本日は前山さんのお誕生日でした。ささやかながらお祝い申し上げます。素晴らしい天祥院英智を演じてくださったこと、本当に感謝してします。

 

 

 

 

 

 

 

推してないです

2018年になってしまいました。

三が日、いかがお過ごしでしたでしょう。私は明日仕事行ったらまた三連休ですあほらしいですね。何でここに有給入れなかったかというと年末に遊び倒した後ろめたさがあるからです。まあそんなことはいいや。

ここは元々長文のリハビリが目的だったんですが(そうなの?)、ですので2018年はもっとブログを書きたい!……みたいなことも特にないです。でもとりあえずうちわこんなふうに作れるようになったよーの記事はいつか書きたいなと思ってます。次のあんステのためのうちわをね。そろそろね。作るから。

 

さて。

 

わかてはいゆーは推さないぞと言いながら結局は年末も年末に接触イベントに参加して2017年の幕を閉じました。推してません。でもはちゃめちゃに面白かったです。お渡し会、という存在は知っていたのですがなるほどサイン会でも握手会でもなくお渡し会なんだなあ。

 

 行ってきましたのはこちらです。カレンダーお渡し会。

 

 

 

 

一部二部とあったのですが、フットワークが軽いことだけには定評のあるばんぎゃるふたりで臨んだため「どうせ東京行くなら両部行くやろ」と両者躊躇いなく二部とも予約。

しかし敵地は勝手もお作法もわからぬ異世界異聞の地。我々は目の周りを黒く塗ったバンドマン相手のインストアイベントしか知らないばんぎゃるだ! 何々、どうするの? 予約した人はここでお金を払って? うん、トークがある。なるほどトークの座席はその場でくじ引きで決めますね、わかりました。ここに並んで待つ、オッケー。そして先ほど頂いた参加券と引き換えにくじ引きを。

 

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何なんだよ!!!!!!!!

 

流石の私でもこれは分かるわ! 1番です!! 1番だーいすき!!!! わーいトーク最前列だー!!!!

 

2017年、ラスト運をここで使いました。いやあ気持ちが良いですね。そしてトーク、はちゃめちゃに面白かったです。今までもいくつかそれっぽいのに足を運んだりもしていましたが、群を抜いて面白かった。サービス精神の塊か。なるほどこの手の人々が完全に「お客さんに楽しんでもらいたい」モードで本気を出すとこうなるんだ!

そうですね最前列ならではの感想としては、意外と男のにおいがした(バンドマン基本香水くさいからな!)ことと、古谷さんのスラックスとショートブーツの間から見えた靴下が赤色でえらい可愛い柄だった、ってことでしょうか。あと目の周りは黒くないけどドーランは案外濃い。あ、いまドーランとか使わないです? ファンデーション?

下ろしたてのお洋服って、ストック(在庫)状態で置いてあったとき特有のたたみクセがついているじゃないですか。古谷さんがこの日着ていらしたロング丈のニットにもそれが見られたので「下ろしたて着て来たのかな……だとしたらめちゃくちゃかわいいな」とも思いました。推してません。

 

 

 

イベントの進行としては、トークします→個々にチェキ撮ってカレンダーお渡ししていきます。でした。

あ、流石に撮影の一番手は全力回避しています。各位、鍵開けしたい人々がやってくれ……。撮影は公開処刑だという話も聞いたのですが、今回はちゃんとパーティションで目隠しが作られプライバシーにも配慮されていました。ここでびっくりしたのは、チェキ撮影に際してNG項目がなかったこと。更に剥がしがないのでお話ししようと思えばかなり長い時間(主観)可能であったこと。の2点です。

これに関しては、やらかしたり妙に粘る客もいないため事務所通してイベントのレギュレーションはかなりゆるく、自由にやらせてもらっている。ということらしいです。すみません他の方々の会話が聞こえてしまって。でも、それはとても良いことだなと思いました。自由というのは信頼ですよ。

 

 

チェキ撮影に関してはもはや「普通に可愛く撮る」ということが出来ないため、なんかもうよく分からないお題を出してしまったし、それにもまるで臆することなく笑顔でオッケーを出してくださる辺りはやっぱり流石だなあと思いました。

そしてカレンダーをお渡ししてもらいながら二言三言……どころではないぐらいお話しの時間があったので、言いたいことが言えず仕舞いだった!みたいなこともなく(言い淀んでいると待ってくださる)、全体を通して非常に気持ちの良いイベントでした。心の底から行って良かったと思ってます。推してはないんですけど。

 

そう! 終わらせた後に思いついたのですが、また年末にこうしたイベントがあれば次は「『来年の◯◯さんが良いお仕事とご縁に恵まれますように』って私が拝むので、◯◯さんはなんか大明神っぽい感じでお願いします」をやりたいです。やりてえ! 本人の御多幸を願うのに本人を拝むチェキ! やりてえ!! もしくは誰かやって私にご報告ください!! こういうネタは思いついたときに書き留めて残しておかないと忘れるんだよお!!

 

 

 

 

そんな感じで2018年も自分がこの先どう転ぶのか愉しみながら生きていく所存です。

いやマジで去年の年始にまさか年内最後の現場がわかてはいゆーイベント、そしてテニミュで終わるとは想像もしてなかったですもの。これだから面白い。

 

で? 今年の現場始めですか? そうですね、追いテニミュの可能性について考えていますが、それがなければ古谷さんの次の舞台で〜す! 推してはいません!!

 

LOVE♡MIXされちゃった話

舞台「KING OF PRISM -Over the Sunshine!-」公式サイト

 

 キンプリの舞台を見て来ました。

 

 あまりにも突然に一世を風靡したKING of PRISMというパワーコンテンツ。体験した者にしか通じない、あの暴力的なまでの怒涛に次ぐ怒涛。更にTVシリーズを履修することにより一気に深まる理解と謎。そりゃこの話題性なら舞台になるよねぇという納得と、どうすんだあれという完全なる興味からチケットを取りました。あと、大分とわかてはいゆーに対する「わかり」が出て来た結果、キャスティングの段階で「えーあの人がこの役やるの!」と、ゲラゲラできるようになったんですよね。プリズムの煌めきについてもお話はできますが、今回の舞台に関して私は多分「俳優の客」という立場で見ています。別に推しはいないけど。
 この手の話はお腹いっぱいなんですが、何回見たとかどういう風に好きかとか、或いはどんな理由で現場に足を運ぶかも当然個人の自由だし、何をしようが自己満足の域を出ないし、俳優のオタクだろうが原作のオタクだろうが狢は狢だぞ! いいか!
 ただ生きてる世界が違い見えるものが違い共通認識が異なるので、正直「ここは混ぜたらあかんかったやつではないのか」とは思いましたけれども! 正直な話!! 散々学級会が開かれてるのであえて言及はしません。私はただ粛々と観劇アンケートに「もし続編か再演をやるなら後生だから通常と応援で公演を分けてくれよな!」と書き綴るのみです。俺たちに人権を!!!

 

 

 

 そんな話はさておいて舞台の感想を書きます。

 高田馬場ジョージ!!!!!!!!
 (フォントサイズは24です)

 あのもう、シュワルツローズ以下シュワロが! ちょっともうほんとに! ジョージがね!!! ジョージが本当にジョージで一生キンブレ振ってたかったという話をしたい!!! 

「俺と、高田馬場で情事しない?」

\いいよー!/

「ぃやったあ!」

 これは実際に舞台で行われたやり取りです。えっ最高では? 最高のコールアンドレスポンスだ……やだこんなの好きになっちゃう……無理…………
 舞台を見終えて色々ごちゃごちゃ思ったけど、それらを濾過しきったあとに私の中に残ったのは日に日に増す「ジョージ……」という想いです。なんだこれは。キンプリが覚醒剤的シャブなら、高田馬場ジョージはダウナー系のそれだぜ。


(以下ネタバレなので薄目で読み飛ばしてね!)


 高田馬場ジョージ、ソロでキャスティングされてるのでソロ出演だと思ったらちゃんとTheシャッフルで出てくるんですよ。え、出て来るの? って思いません? 出て来るんですよ……人形で。一旦はけたと思ったら、Theシャッフル4人が繋がった状態の雑な操り人形を背負って出て来る高田馬場ジョージ。いやずるいやろそれ。
 登場時から1人舞台だけど、5人になっても1人舞台。でもまたこの演技がもう最高最強にキュートなんです! 演者の古谷さんほんとどれだけ芸達者なのかと……。歌わせたら歌わせたで設定の「歌下手だから口パクアイドル」をガン無視するほどお上手だし、ダンスもお仕事とアイドルのジョージを使い分けてるんですよ。
 Theシャッフルの『恋のロイヤルストレートフラッシュ』では、黒子に扮したアンサンブルの皆さんがメンバーの人形を身にまとって5人のダンスが披露されます(余談ですけどこういうお約束で表現するところ、演劇特有の茶番感があって私は割と好きです)。こちらのダンスはキュートさにベクトルを振り切っています。ハートを作ってにこっと微笑み可愛らしい流石ラブラブ系スタァ。ところが一方、舞台後半の大メドレーで披露されるシュワロのオリジナル曲では妙にキレのある、小気味の良いダンスを見せてくれます。それが、もしかしてこちらの方が本懐なの? と震えるほど格好良いんです。キャラクターとしては三枚目、それこそ道化役であるはずの高田馬場ジョージが、二枚目も蒼白の格好良さで迫ります。むーりーーー
 このオリジナル曲---ルヰくんとアレクとジョージの3人が見せる、ちょっとアダルトで魅力的な表現が個人的にはこの舞台の大サビです。この曲のためにいま私は涙を飲んでライビュのチケットを探すか悩んでいる状態です。M字開脚からの腰振りですよ。もう一度言います、M字開脚です。あー! シュワルツローズー!!!!(キンブレを振り回す絵文字)
 この「「「「やばい」」」」ジョージを堪能するなら下手が断然オススメです。もしこれから劇場でご覧になるかたがいらしたらサイドチェンジの参考にしてください。

 

 

 


 はあ……

 


 舞台そのものは前半で映画のストーリーをなぞり、後半ではDear Crownで催されるクリスマスライブに向けてのオリジナルストーリー(キンプリラッシュをやってるとよりスッと入る)という構成です。安心していきなりオバレのプリズムショーで頭をぶん殴られてください。大丈夫。しかし舞台が終わる頃、私のお脳には完全に高田馬場ジョージがキマっており、もう何も思い出せない……エーデルローズのお風呂……卒業証書ポーン……
 カーテンコールの記憶も、下手の端から法月仁、高田馬場ジョージ、大和アレクサンダーの並びがサイコーすぎてそこ以外が靄がかかったようなの……おかしいわ……。アレクはお辞儀も拍手も全然しないし、ジョージはそんな両隣のふたりの手を無理矢理握って振り回すようにキュートなお辞儀をするし、でも法月仁はあくまで塩対応でそれを振り払ってルヰくんをエスコートしながらはけるっていう小芝居を最後まで続けてくださるんですよ演者の方々。ありがた〜い! すご〜い!

 

 演出がもたついてるとか相変わらず役者間に差があるとか結局曲の良さとライブシーンと客降りのファンサービスの力技で持ってってるだけじゃん! という意見はド正論だなあって思うんですけど、正直そういう話をするよりお脳に高田馬場ジョージがキマってるやばさを話した方が私もあなたも楽しいと思うんですよね。どうですか。あと法月仁の話も忘れずするからな!

 この舞台でも相変わらず大活躍なのがやはりアンサンブルの方々で、私は今回も「前髪を上げてるひとの顔がぶっちゃけ好み」と思って見てたんですけど、その方が法月仁と絡んだときの私の心のガッツポーズを想像してほしい*1。これもネタバレっちゃネタバレなんですけど、法月仁も歌って踊りますからね?????? プリズムショーではないけど歌って踊る法月仁ですよ????? お風呂シーンで確認できる腹筋は実は描いてあるのがつぶさに見てとれるお茶目な法月仁! 大事なのは格! 鞭さばきが最高で塩対応がサイコーでファンサがやばい法月仁! そんな法月仁が、膝をついてかしづく顔の良い男の顎に指をあて、頬を寄せる寸前で突き放す! か、かぁっこいい~!! でもサビではIn The Timeless~って歌いながらすんげえやばい動きで笑いを誘ってくるの、ほんと面白いんでやめてほしい好き。ああ思いだしたらやっぱりライビュ見たくなってきた

 わかってるんです、観客的にはエーデルローズ生による『ドラマチックLOVE』で、「ありがとうの代わりに好きって言わせて」をカケルとタイガが二人でハートを作りながらデュオで歌うシーンが一番盛り上がってるよなってことは分かってるんです。大阪楽など、そのあとタイガきゅんがカケルっちの頭をぽんぽんしてましたからね。長江くんどんだけ出来る子なの。でも私の~サビは~そこちゃうんや~~~~。そう、人それぞれのサビ。
(長江タイガくんはマジでできる子なので、このあとの曲サビ前に「行くぞお前ら~!」という煽りをアドリブで入れてきました。マジで……こいつはできる…………)

 

 

 万人に勧められるかって言うとまったくそんなことはないのですが、思い返すと「いや、やっぱり割と面白かったのでは?」という思いだけが残っている。で、ここにきて私はやっぱり、2.5を見てる時の感じはインディーズのびじゅあるけいを見ているときに似ているなあということを考えている。突っこみどころが多々あって、言いたいことも色々あるけど、でも面白いモンは面白いのでそこは好きって割り切るところとか。完璧なものがが欲しければ別の現場に行けばいいし、ここにはそれは求めてないんだよなあという自覚のようなものが似ているなあって。あと情報量が多い!! 知れば知るほどどんどん多くなる!!

 

 

 

  それはそれとして高田馬場ジョージのチェキ欲しくないですか? ブロマイドじゃなくてチェキ! チェキが欲しい! なんなら接触イベントでツーショットチェキ撮って!!!! ファンサじゃなくて営業して!!!!! ジョージ♡♡

 

 

 今日から東京公演ですね……

 

 

*1:咄嗟に声が出ないように訓練されたオタクだからさ

うん、悪くない。


 幸い、運動神経が壊滅的という訳ではなかったようで運動全般は嫌いではないです。以前、逆ダイ(背ダイ)は走り高跳びの要領ですよね! とお話ししていたら「えっ、走り高跳びなんてやったことがない……」と言われたのですが、や、やりませんでしたか……学校で……私めちゃくちゃ校庭で飛んでた記憶があるんですけど……。ともあれ、ああいう個人技を磨くような競技は割と好きでした。逆ダイは個人技。
 スポーツ観戦も嫌いではないです、特にテニスが好きです。テニミュではありません歌いません。でも時々、それこそグランドスラムの試合なんかはフィクション顔負けのスーパープレイが飛び出るので現実は凄いぞ。そしてテニスの何が好きって、とにかく観客がうるさくないところ。応援がやかましいスポーツは総じて苦手です。バレーボールとか、サッカーとか、野球とか。

 

 野球。
 そう、プロ野球ね。
 なんか苦手なんですよプロ野球というものが。
 でもこれも、観戦には行ったことがあるんです。その時はそれなりに面白かった。どのジャンルにも客席を鼓舞し、応援の先導をとる仕切りみたいなひとがいるんだな~ほ~~と思いました。あれは良い知見でした。
 じゃあ何が苦手かと言うとやっぱり野次なんです。野次。野次? おっさんがプロ野球の話をしてるときって、どういう会話になるかご存知ですか。そうですね、私の中のイマジナリおっさんは大体こういう感じで話を進めます。

 

『この間の試合の、あれはあかんかった。ああいうことをしたらアカンねん。しかもあそこであいつを出すやろ。あんなもんすぐ下げな勝てるかい。あーあかんわ。あそこで打たれるとかホンマあかんわ』

 

 以下、延々。

 

 ダメ出しじゃあないんですよ、野次なんですよ。「あれでは駄目だ」の後ろにあるのは「俺ならもっと上手くやれるのに」なんです。ほら、透けて見えるでしょう。おっさんの本心、スケスケだぜ! やめろ見たくない!!!!!
 そんなスケスケのオッサン心が必ず付随するジャンルが「プロ野球」である---ここまでの図式が私の中に完璧に出来上がっている。だから苦手なんだと。つまり私が嫌いなのは実際やりもしないしやれもしないのに口だけ出してやったつもりでいる現実には管を巻いているだけの人間であって、野球は何も悪くない。でもそういうひとが集まるとわかってる場にわざわざ足を運ぶ理由もねぇ、ないじゃないですか。何でもそうですけど。

 


 
 ところでみなさま、まじで走り高跳びってしたことないですか?????

 

浸かってはいない沼の話

 

 一応、自我としての私は未だ「ばんぎゃる」なのですが、バンドを追うこととかそれに付随することに割とかなり疲れてしまったのでいまはあんまりばんぎゃるをしていないです。で、全国ツアーだわーい! 遠征だーいすきー! 夏は海! 冬は元気! 新幹線を異常な率で止める能力者!*1 系のアクティブクソ野郎な私がふっと現場にいくことをやめたときに何を思ったかと言うと。


「お金が余ってる!」


 余ってない! 何も余ってないから! 落ち着いて!
 いやでも実際、あれーボーナス何に使おうかなーってなったんですよ。だってまずツアーって発表されてチケ発で10万飛ぶじゃないですか。そのあと各所回る足代と宿泊費で10万飛ぶじゃないですか。それがないんですよ。おっと20万余ってる(余ってない)。
 時間にもお金にも余裕ができると実施されるのが『突撃☆隣の沼探訪』。まぁもともと演劇は好きだったし興味もあったのですが、いかんせんばんぎゃるをやっていると時間もお金もそっちに吸い取られていましたからそりゃ余力が出たらそうなるよね。あと、意外と周囲にいる。気づいたらテニミュ勢に取り囲まれていたりする。それとメサイアな。

 そこでまずどこから手を出そうって考えたとき、やっぱり刀かなーと思った訳です。ミーハーだから。そもそもばんぎゃる時代も現場至上主義的なところがあったので、DVDから予習とかそういうことは一切頭にありません。まずは現場! 次に現場!
 なんと幸いなことにチケットが手に入ったので、まじで刀剣の名前すらうろ覚え、役者の名前はすずきひろきぐらいしか分からないです! という状態で人生初の2.5次元現場に赴きました。俗に言う刀ステ初演ってやつです。
 世間のひとはわかりませんが、私はこうした『真っ白な状態にいきなりナマモノを叩きつける』という行為が結構好きです。バンドもそうなんですけど予習ってそんなに必要かな、と思うことがままあります。勿論、ある程度の下地はあったほうが楽しめることは多いです。それでもなお、私は余分な情報なしに目の前にぶちまけられたものだけで自分が何を思うのかを知りたいという欲求に勝てない。知識は後付けもできるし、後々に「あれはそうだったのかー!」って繋ぎ合わせていくのもパズルみたいで面白い。まぁかなり色々なものを取りこぼしてる気がするので、特におすすめはしません。

 なにせその初体験も、すずきひろきすげえな! ぐらいしか感想が言えなかった。いや、凄かったんですよ鈴木拡樹。凄いとは聞いていたけど凄かった。ちょっと他の役者とは存在が違った。あ、これが次元が違うってやつかと思った。ただ、いかんせん元のゲームをやってないので「推しがー! 実装された推しがー! 動いているー!」という2.5次元特有とも言われる感動は皆無でした。なんて贅沢なんだお前は。
 それでも鈴木拡樹の凄さが凄すぎて、気が付いたらその直後に彼が出演する公演のチケットを取っていました。自分のこういうフットワークの軽さ、嫌いじゃないぜ。
 この辺りからじわじわと、周囲からの絡め手が本格化していきます。染さまの顔面に抗えず「この顔になりたい2016アワード」を差し上げた辺りである映画の公開記念イベントに行くことになりました。壇上で顔の良い男たちがキャッキャしておったわ。何だこれわ。

 

 そんな私にも遂に訪れるのです。

 そう、『推し』が。

 

 2次元の推しが、2.5次元に実装されたあの衝撃が!

 

 ばんぎゃるを上がり始めたみんなたちの行き着く先は、大別すると声優、わかてはいゆー、ジャニーズ or LDH。そしてソシャゲに課金してるという偏ったイメージがあります。私も例に漏れずソシャゲというやつに初めて触れ『あっ。これが、推し……』になっちゃったんですよねそうそうあんさんぶるスターズ!って言うんですけど。周りから散々「お前はKnightsか生徒会長。ていうか多分生徒会長」と言われ続け蓋を開けたらまんまと「あーーーーーーー」って落ちていった先が天祥院英智って言うんですけど。

 あんステTYM*2の情報が出た瞬間、予習とか好きじゃなーいと言ったその口で「誰ですか! 前山剛久って誰ですか!!」と叫びながら推しを演じる役者さんについて調べ上げ、直近の舞台のチケットを粛々と押さえました。結果としてお芝居はとても面白かったし、実際目にしてああこの方が演じる英智さまはきっと素敵だと、、、理性があったのはここまでです。

 あれは、理性が蒸発する。

 いい加減私はびじゅあるけいのことを2.5次元だと思っていたのですが、認識が甘かった。2.5次元とはこういうことだったのか! 次元の壁を越えている! 現実に実装される非実在推し! なんだこれは! 知らない世界だ! すごい! えっ、推しが! 推しがファンサしてくれる! 推しが! あああああ!
 推しを前に理性などないのでTYMは8公演入ったんですけど、ほんとツアーを回るばんぎゃると性根はおんなじなんだなと思いました。多ステしたからこそ気づくことのできる差分! 大阪2日目の昼から生徒会のシーンの演技プランが変わって、その日の夜公演から精度がはね上がったのが個人的にめちゃめちゃグッときました。これだから現場ってやつは。

 


 まぁ正直、「キャラを借りている」とか「~を生きる」とかその辺のお作法のことはまだ良くわかっていないし、推しの仕事を見るために舞台に行ってんだよというファンの方の言説にもなるほどと思うだけでやっぱり良くわかってないです。スカスカの現場にもまだぶち当たってないし、敢えてあまり深く考えないようにしていることは多くあります。言い出したらキリがない……やだやだ、そういうのもういいから。

 だから私の目下の目標は「推しを作らない」ことです。芋づる式に掘っていくのは楽しいです。どんどん解像度が上がってゆくのも愉快です。あと友人たちが好きなはいゆーも自然と覚えます。わかってる、わかってるんだ推しを作ったときの楽しさはわかってるんだ。でも私は浅瀬でちゃぷちゃぷしていたいの! いやあ、みんな顔がいいなあ! 以上だ! それ以上のことは考えたくない! 私は上澄みの綺麗なところだけを啜っていくからよろしくな!!

 

*1:年に数回は致命的な遅延にぶち当たります

*2:あんさんぶるスターズ!on stage の二作目、Take Your Marksの略称

拝啓、お元気ですか


 みなさんお手紙、書いてますか?

 デジタル時代の昨今、今どき手書きで定期的にお手紙を書いているなんて本当に限られた人種だと思うのですが、そのひとつは間違いなくばんぎゃるでしょう。TwitterのDMでも! LINEでも! ファンメールでもなく! SO, ファンレター!


 プレゼントよりも手紙が嬉しいよ、というのがあちら側からの模範解答のようになっているような気がします。実際そうなんだろうなとか、どこまで本音なのかとか、本当に読んでるのか、いやいっそ読まずに捨ててほしいとか、まぁ色々思うことはありますが、書いて渡したという地点でこちらのやることは終わっていますしあれこれ考えたところで仕方がない話です。
 それでもお手紙を書くという行為が、私は好きです。
 究極の自己満足だな、とも思います。
 酷い時などは月に何本、週に何本もあるライブの度に毎回お手紙を書いていました。何をそんなに書くことがあるのか。まぁここまで来るとあまりに極端ですが、でも実は私それまでは基本的に「ファンレターなんて書かない」タイプのばんぎゃるでした。そんな私がどうしてこんなに手紙を書くばんぎゃるにジョブチェンジしたのか! 一体どんな教育と営業を受けたというのか! ……みたいな話はしません(しません)。

 ただ、自分が初めて「このひとに手紙を書きたい」「思っていることを伝えてみたい」と感じたときのことは、明瞭に覚えています。そのひとはその頃、きっとこのシーンに対しても自分に対してもメンバーに対してもファンに対しても、とにかく周りのすべてに憎悪を燃やしていて、その熱でもってステージに立ち続けていました。尤も私にそう見えていただけで、実際には違ったのかも知れません。後年のインタビューなどを読むとやっぱりそうだったのかな、とは思いましたが後付けでしかないですしね。
 どうして私がお手紙を書こうと思ったかと言うと、伝えたかったからです。何を伝えたかったか。あなたのことを好きな人間がちゃんといるよ、ということを伝えたかった。世界の全てを燃やし尽くしてしまいかねないような人に、それでもそうやってあなたが作り出すものが、私はとてもとても大好きだと伝えたかった。どう繕ったところで自己満足だし身勝手な行為でしかないのですが、それでもただ見ているだけでは、どうしてもどうしても自分の中で収まりがつかなかった。そんな風に思ったのは初めてのことで、それは何故か泣きたくなるほどに強い気持ちでした。
 そうやって初めて書いた手紙に対して、そのひとから何か特別な反応があったとか、そんな話は残念ながら一切ありません。それから何年にもわたってそのひとに宛ててお手紙を書き続けましたが、私の内容はいつも「ありがとう」と「だいすきです」だけでしたし、そのひとは頂いたものを写真に撮ってブログにあげるといったことをほとんどしないひとでした。これもどこかのインタビューで「『新幹線の中で書いているので、字がガタガタになって申し訳ないです』って手紙に書いてくれるひとがいるんだけど、そんなことはない。嬉しいです」みたいな話をしていたことは覚えています。その頃の私はしょっちゅう移動中にお手紙を書いていたしそんなことを書いたこともあったので、おっと思ったことがあるぐらい。本当に、そのぐらい。

 一度お手紙を書く癖がつくと、そのひと以外にも結構気軽に手紙を書くようになります。書けるようになる、とでも言うのでしょうか。そこで驚いたのは、意外とわかりやすく反応してくれたり、お礼を言ってくれたり、この前書いた内容をインストアで直接振ってくれたり、ちゃんと読んでるよということを向こうから伝え返してくれたりもするんだ、ということでした。反応がなくて当然だと思っていたのでとんだボーナスステージ!状態です。
 そのひとはただ黙って受け止めてくれていた。私はそれが心地良くて、そして完全にそのことに甘えていました。バンドが解散発表をしたとき、一度だけ怒りに任せた手紙を書いた覚えがあります。今思えばあれは悲しかったんだということがわかりますが、だからってそんなことを伝えるべきではなかったし、それすらもそのひとはきっと、黙って受け止めてくれていました。いつからか私は、必ず「ありがとう」を書くことにしていました。楽しかったです、ありがとう。またこんなものを読んでくださって、ありがとう。好きで居させてくれて、ありがとう。
 そんな言葉じゃとても返しきれてないなあと、ずっと思いながら。

 

 


 最近になってわかったのは、いわゆる『推し』という概念に近い相手には、不思議と何かを伝えたいとは思わないということです。とにかく推しにはこちら側を認識して欲しくないというか、私のことなど路傍の石ぐらいに思っていてほしいというか、何だ、そう、これが推すという概念!!! というお気持ちへの気付き。そう考えるとわたくし、かれこれ10年ほど推してる相手がおりますが、本当にこちら側については関知してほしくないしする気配もないところが最高。そういう感情もある。ということを説明するのに、やっぱり名前がついてるって便利ですね。

 

 


 因みにお手紙を書くときに、私が絶対にこれは守ろうと思っていたことは、きちんとした言葉を使うこと。それから、「ほしい」ではなく「あげる」文章を書こうということ。その二点です。別にただのマイルールみたいなものなので、だからどうってことはない話です。

 どこかのカフェで懲りずにまたぞろお手紙を一生懸命書いていると、異国のハンサムから「ラブレターを書いているの?」と訊ねられたことがあります。そうだね~と答えると、にっこり笑いながら「君のようなひとに手紙をもらえる相手はとても幸せだね」と返されました。ヒュ~! これだからハンサムってやつはよ~!

 

ため息と涙でできているもの


 ガチ恋ってなんやねん。

 いつからだ。いつからこの言葉はこんなにカジュアルに使われるようになったんだ。本気(ガチ)な恋愛感情です、というやつなんだろうけど、何だかどうにもしっくりこない。業界を変えると「リアコ」という言葉になったりもするらしい。リアルな恋の略だろうか。

 しかも聞くところによるとガチ恋とは大きく分けて二種類あるらしい。まずこの地点でまじかー! となる。そのひとと付き合いたいタイプと、そのひとの理解者になりたいタイプなのだそうだ。なるほどわからん

 付き合いたい→(わかるよガチ恋だね)

 理解したい→(それはファンでは?)

 私にとって「ガチ恋」という言葉は、あくまで相手の連絡先を知り、お互いプライベートで会うようになり、リアルな恋愛関係になって初めて適用されるものです。なのでしょっちゅうガチ恋を名乗るかたがたに対して「繋がってから出直してくれないか! 一般人女性A!!」と拳を振り上げる羽目になる。
 ひとのガチ恋話は面白いし、聞いたり読んだりするのは大好きなのだけれど、やっぱり話を聞きながら「それは違うのでは……?」という思いが拭えないでいる。他人のガチ恋を断ずるなと言われるとその通りだなぁと思うのだが、どうにも腑に落ちない。そこでこの言葉について考えるのがこの記事です。ここまで読んだあなた、これは私のガチ恋記録の話ではありません! 期待していたのなら残念だったな! それを書くならはてなじゃなくて有料noteでやります!(えぐい!)



 考えるにこの「ガチ恋」という言葉、「本気(ガチ)」だったり「リアル」だったりの修飾がどこにかかるかに大きな違いがあるのではないだろうか。つまり恋をする相手をリアルな現実の「対象者」として捉えているガチ恋がある一方、他方ではその対象が何であるかは問題ではなく「恋のような自分の気持ち」に本気をかけているのでは。そう思うと色々と納得がいく。

 そのひとのことが好きで好きでたまらなくて、四六時中そのことで頭が一杯で、冗談抜きで世界が輝いて見えて、吐きそうなほど悩んで苦しくて、彼の目に入る姿が少しでもマシなものであろうと努力したり、どんな形でもいいから一番になりたくてあれこれ考えたり---そういう、ただの「ファン」と呼ぶには少しばかり人前に出しづらくて、ドロドロとしていて、どこか後ろめたくて、そんなに綺麗とは思えない。そういう感情には覚えがある。あれはなんだったのかと言われると、何だろう、やっぱり「恋」に近いものではあったのだろう。だからそこに「ガチ恋」と名付けたひとたちの気持ちは正直わかる。わかるんだけど、でもやっぱり、それは「恋」に似て非なるものだと思う。
 特に生身の人間が相手だと、ちょっとでも特別な存在になりたいみたいな感情が出てくる。そのこと自体は、それほど特殊なことではない。そこに単なる「ファン」ではなく「ガチ恋」という名前をつけることで、俺はヴェルタース……ヴェルタースオリジナル*1だ……と、ある種の安心を得るのかもしれない。ああまたここで言葉に齟齬が生まれていく……溝は深い……。


 名前をつけるってなんて大変なことなんだろう。それが形のない、得体の知れない感情なら尚のこと。なぜこの言葉はこんなに奇妙な多面性を持っているのか。まったく人によって定義が違いすぎて、誤解しか招いていない気がする。
 ある人はこれを「最高の独り相撲*2」だと喩えていた。そう言えば私は過去に「決して叶うことのない片思い」だと表現したような覚えがある。やっぱりガチ恋じゃねえか、と言われると身も蓋もない。こうなると最早「言葉に対する感覚」みたいな話なのかもしれないとすら思えてくる。私がおそらく一生「バンギャ」という単語に、言いようのない受け入れ難さを抱き続けるのと同じような。いやバンギャルなんですけど、ギャって言われるのが本当に嫌。最近は、ばんぎゃるって書くのがマイルドかわいいなと思っている。本質は変わらないのに表現で受け止め方が変わる例。一方ガチ恋は、恐らく本質はまるで違うものなのに同じ言葉に収められているせいでおさまりが悪い例。なのだろう。



 この話がさらに面倒なのは、相手が生身の人間相手だという点にある。下手に実在することで「付き合いたいタイプのガチ恋には救いがある」みたいな話になるのだけれど、私がガチ恋を断罪する上でプライベート云々に拘る明確な理由もそこだ。

 我々が普段から見ているのは、あくまでの「ステージ上のあのひと」でしかない。私たちは、彼らが板の上で見せる姿しか知らない。知りようがない。そして舞台上は其れみな虚構。これが私の、観賞における意識の根底にある。
 舞台にあるもの、それは彼らが見せたいもの。
 私が見ているもの、それは彼らが見せているもの。
 あなたの焦がれる「付き合いたい人間」など、この世のどこにも存在しないのだ。それはあなたが、あなたの頭の中で作り上げた理想のナニカでしかない。中の人とその虚構とは、まったく別の生き物だ。だからこれは「決して叶うことのない片思い」なのだ。いやわかる皆まで言わんでいい、恋なんてそもそも思いこみで始まってそれを現実に叩きつけて修正して修正していく作業だ。だがこの場合の恋は成就のしようがない。というか、成就した地点でそれはまったく別のものに形を変えてしまう*3
 だから面白いし、だから拗れる。理解者であれば一緒に居られるという狂ったような気持ちも、相手を自分の理想に当てはめようとする気持ちも、きっとこの「終わりがない」ものに何とか形を与えたくて、迷いこんでしまうものなのだろう。申し訳ないがここは想像でしかお話ができない。経験者の言葉に比べるとまぁなんと説得力のない他人事のような文章か。

 世の中には無機物を愛するひともいる、虚構に恋をする人もいよう。私たちが感じているあの気持ちはきっと、偽らざる本物だ。熱に浮かされたように、狂おしく何かを思うあの気持ちをニセモノだと断ずることは私には出来ない。けれど、その相手は、対象は、どうしようもなくニセモノなのだ。
 恋のようで恋でなく、恋よりも激しい気持ちを抱かせてくれる。そんな相手に、バンドに出会えたのなら、それはきっと一生モノだ。偽物相手だからこそできる色恋もありましょう。幸か不幸か、そんなどうしようもない気持ちならば知っている。知っているからこそ、そんなものと出会ってしまった気持ちを、出来合いの言葉でラべリングするだけで良いのかなぁと思うのだ。誰かが感じているかも知れないやり場のない想いを、「ガチ恋じゃん」なんて言葉で括りたくもない。


 名前をつけるって、本当に大変なことだ。私が優秀なコピーライターならここで一発どーんと流行語を作成してやるのだが生憎そういった才能は皆無ときてる。
 だからせめてガチ恋だからなんて言葉で逃げんな! 向きあえ! と言おう。
 もっともっと、自分の「好き」に真正面から向きあってみてほしい。もう少しばかり、自分の気持ちを丁寧に扱ってやってほしい。折角ライブハウスなんていう、「それ以外のことを考えなくてもいい場所」に、身を置いているのだから。

 あなたがあなたの気持ちを、納得してその言葉に収めるならそれはそれでいい。でもやっぱり私は、私の抱いていた気持ちを「ガチ恋」と呼ぶのも呼ばれるのも嫌だなあと思う。ただ、やべーばんぎゃるの話を聞くのはすげー好きなので、ガンガンお話ししてください。

 そうだな。テーマはやっぱり、あなたの「好き」の在り方の話がいいな。


 私のそれは、まぁいずれまたどこかで。








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*1:私もまた、特別な存在だからです

*2:http://coralaroc68.hatenablog.com/entry/2017/08/13/234431

*3:それは往々にして現実と呼ばれる